けやき坂46(ひらがなけやき)に "俺" と歌わせた真意
今をときめくアイドルグループ、欅坂46。
その中に、けやき坂46(通称 : ひらがなけやき)というグループが存在する。
そんなけやき坂46が歌った、 "それでも歩いてる" という楽曲が、最新シングルの中に収録されている。
作詞はもちろん、秋元康さん。作曲はさいとうくにあき さんという方。
この曲は昨今のアイドルの曲とは思えないような作りだ。
アコギのストロークで始まったかと思えば、そのまんま歌が始まり、なんと1番はずっとアコギ一本の伴奏なのだ。2番からようやくバンドサウンドが聴こえてくるが、ちょっと地味なくらい落ち着いたアレンジである。
メロディラインは、明らかに吉田拓郎さんを模倣したルーズな流れ。キチンと作り込まず、アドリブ感を重視してるような感じ。
70年代~のフォークシーンを生きてきた世代の方々は、これを聴いてハッとするのではないだろうか。
それだけでも十分アイドルソングとして異色なのだが、私が1番気になったのは、一人称が "俺" であることだ。
歌詞の内容からしても、"私" を用いても全然違和感はないし、響き的に違ったのであれば "僕" にも出来たと思う。
それでも秋元さんが "俺" と歌わせたのには、どんな理由、意味があるのだろうか。
こんなところで僕が紐解いたところで正解ではないので、それはやりませんが。
やっぱり秋元康という人物は、作詞家なんだなぁと思った。
夕焼けは秋の色
世の中は、なんとかなることよりも、どうにもならない事の方がたくさんある。
だれしもが、一度そのどうにもならない事に立ち向かおうとする。
どうにかなるかもしれないと期待をする。
結果、どうにかなる場合も多々あるけれど、やっぱりどうにもならない事の方がそれを上回る。
どうにもならないと分かった時、とても厄介だ。
どうにもならないと分かっていながらも、人は足掻く。
そう簡単にあきらめがつく程、人は強くない。
でもそうやっているときは実に空虚で悲しい。苦しい。
夕焼けの美しいオレンジ色のように。
カレーライスの夜、ブルーベリーの丘で。
またまた追悼のブログになってしまう。
不滅の男、不滅のロックンローラー、遠藤賢司さんが旅立たれた。
常に新しいことを追い、新しいことに挑戦されてきた。
エンケンさんの生み出す楽曲は、エンケンさんそのものだったと思う。
まさに身を削って音楽と向き合ってきたのだろう。
どんなにボロボロになっても休もうとはしなかった。それはもしかするとワガママで頑固なことなのかもしれないけど、止まるわけにはいかないのだ。音楽家にとって、曲を書く、歌う、演奏する、聴くことこそが、生きることなのだ。
常に新しいことに挑み続け脱皮を繰り返したエンケンさんは、最後に自らの身体を脱ぎ捨て、どこかへいってしまった。
ありがとうございました。いつか会いに行きます。
・・・
時を同じくして、ファッツ・ドミノの訃報も入ってきた。
ブルーベリー・ヒルやAin't That A Shameは今でも頻繁に聴いている。
ブギウギから発展させる形でロックンロールの基礎を創り上げた彼の功績は、同じく今年亡くなったチャック・ベリーにも匹敵するであろうし、後世に伝えていくべき存在だ。
近年は来日しないどころか表舞台にも姿を現さずすっかり隠居状態だった。リトル・リチャードですらちょっと話題があったのに。それでも、不思議といつも近くに居るような気がしたんだ。居なくなったという事実は大きく、それ故に悲しい。
風はしばし歌にされる
お久しぶりです。ブログ。
すっかり寒くなっちゃって、もう長袖どころか冬着でもいいくらい。
白い息とかまだ見たくない。
ブログの更新ということで、そう、新曲を投稿しました。なので、紹介しますよ。今回も。
タイトルは『アマツカゼ』
元気よい感じ!こういう曲も書きたい!でもなかなか完成せず、不思議とゆったりした曲が多くなってしまいます。
タイトルについては色々考えましたが(何とも付けにくくて)、歌詞の中からタイトルっぽい単語を取り出した感じです。
短いパッセージのシンセのリフがテーマになっていて、それを中心に展開されています。
イントロのディレイの効いたピアノからの歌ドン。
サビ始まりっていうのも僕の楽曲としては珍しいパターンです。
よく曲はサビから作った方がいい、みたいな話をききますが、私どうしてもそれが出来なくて、殆どがイントロ、もしくはAメロから作っています。
だから、最初にこのサビのフレーズから出てきたので、必然的にサビが最初になっています(伝わります?汗)。
全体的にリズムが強めで、特にサビはギターの刻み方もタメの効いたというか、フレーズっぽいアレンジになりました。音も大きめで、襲ってくるイメージですかね。
ワウのギターソロも、個人的にはやってやったぜ!といった感じ。
TSUTSUGYSTORMとしてはこういうガンガン打ち込みな音楽を作っていきたいと思っていて、ドウダンツツジとかも公開したけれど、色々やってきたなかで一番相応しいのはそれかなと今は思ってます。
ではでは、お楽しみください!!
始まりはプレスリー (追悼 Tom Petty)
アメリカのビッグスター Tom Petty が亡くなった。享年66歳。まだまだ生きることの出来た年齢だ。
昨日の危篤のニュースからあまりにも突然で、その悲しみを上手く飲み込めていないのが正直な所。ホンモノに逢ったことがないし (来日もほぼしていない)、僕にとっては殆ど架空の人物のような存在なのだけれど、僕は彼の音楽が大好きで、ことあるごとに聴いている。今も。ニュースを聴く前の日の夜にも彼のアルバムを聴いていた。
彼が居た事実、そして彼の生み出した数々の素晴らしい音楽は、決して架空ではない。
それに触れることが出来ただけでも幸運なことだったと思っている。
Tom Petty & the Heartbreakers - The Waiting - 12/4/1988 - Oakland Coliseum Arena (Official)
涸れゆく泉
ごぶさたです。
曲書きたい欲がすごくて、普段は聴く方が多いくらいなんですが、最近はずっとああでもないこうでもないと悩みながら作曲を楽しんでいます。
さて、おそくはなりましたが、先日公開いたしました、私の楽曲『waterless』
前作「太陽の、、、」よりももっとゆったりと長く、ループが強調されています。
僕はもともとギター弾きなので、やっぱりギターが好きで、本当はバリバリ打ち込みでやった方がいいのかも知れないんですけど、ギターの音がどうしてもなってきちゃって、入れたくなる。
もっとうまく楽曲に馴染ませられないかと作りながらも思っています。
『waterless』という英単語の意味ですが、消費されていく身体、感情みたいなものがどんどん水気を失っていく様子、とでも言っておきましょうか。自分でもぼんやりしたものを歌にしているので言葉にする事はできませんが。
そもそも言葉にできるコトはわざわざ歌にのせる必要なんてないですし。
今も良い感じに仕上がりそうなデモ1、2曲ほど手をつけていて、完成するかどうかは不明ですが、もうちょっと歌モノっぽいやつです。
歌もゆっくりなら制作ペースもゆっくりですが、のんびりと聴いていただけたら幸いです。
では!!!
みなさまご視聴ご閲覧いただき、本当にありがとうございます。
大人に抗いながら大人に成っていく子供たち
大人は子供たちにとって手の届かないほど大きな存在で、
大人は例え意図せずとも子供たちをおさえつけている。
子供は大人の存在を恐れながらも力強く抵抗し、
時間とともに自らも大人に成る。
子供は大人に抗えば抗うほど、大人に近づく。
大人は子供たちにとってそういう存在であるべきだと思うし、
子供はそれに抗い、自由を追い求めていかなければならないと思う。
その両者間にあるのは、純粋な愛だ。